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新潟地方裁判所 昭和53年(ワ)274号 判決

原告

西潟幸夫

原告

西潟ヤヱ

右両名訴訟代理人

高橋勝

外一名

被告

新潟県

右代表者知事

君健男

右訴訟代理人

岩淵信一

外一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対しそれぞれ金一三〇八万九七二七円および右各金員に対する昭和五〇年一一月二一日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等の関係

(一) 西潟賞樹(以下「賞樹」という。)は、昭和三一年一〇月二二日、新潟県加茂市大字下大谷で農業を営む父原告西潟幸夫(以下「原告幸夫」という。)、母原告西潟ヤエ(以下「原告ヤエ」という。」の長男として出生し、地元の小、中学校を経て、新潟県立加茂農林高等学校(以下「加茂農林」という。)定時制農業科に進学したのであるが、最終学年である四年に在学中の昭和五〇年一一月二〇日同校生物部室で首つりを図つて死亡した。

(二) 被告は加茂農林の設置者であり、新保敬二(以下「新保」という。)を地方公務員である加茂農林の教諭として任用しているものである。

2  賞樹が自殺するまでの経緯

(一) 賞樹が属する加茂農林定時制農業科は男女共学で一学年ひと組のクラス編成をとつている関係上、賞樹のクラスは入学時から卒業時までそのクラスメートには変動がなかつた。これらのクラスメートの中には捧一、外山尚明、麩沢利明、岡田英雄、内山和彦らがおり、これらの者は体格が良く、腕力を誇示し、同人らを恐れ、媚びへつらうようにしてこれに従つていた者を加えて一つのグループを形成し、他の生徒から恐れられていた。これに対し賞樹をはじめとする数名の生徒は比較的おとなしく、また、捧らに同調しないため反感を抱かれていたところ、捧らは賞樹をはじめとする右数名の者に対しおよそ次のような暴行、恐喝等の非行を繰り返した。

(1) 昭和五〇年六月二七日午後一〇時ごろ、修学旅行で北海道へ行つた際、旅先の宿舎で、賞樹らがたばこを吸つているのを知るや、これを種に制裁を加えようと考え、賞樹らの宿泊部屋に押しかけ、賞樹らを取り囲んで「かくれてたばこを吸うとは生意気だぞ。ヤキを入れてやる。」などと怒号しながらこもごも手拳で居合せた賞樹ら六名の生徒の顔面、頭部、背部を殴打するなどの暴行を加えた。

(2) 同年一一月七日ごろ、加茂農林定時制農業科四年の教室等校内で賞樹らに対し「外山の車がタクシーとぶつかり、壊れたので、その修理代を一人二〇〇〇円ずつカンパしてくれ。」と言つて、金員を要求し、同月一一日ころ、右教室等において賞樹ほか三名からそれぞれ金二〇〇〇円ずつ脅し取つた。

(3) 同月一二日ごろ、前記教室等で賞樹らに対し「外山の車の修理代がまだ足りない。もう三〇〇〇円ずつ出してくれ。」と言つて金員を要求し、同月一三日ごろ、同教室等において賞樹ほか三名からそれぞれ金三〇〇〇円を脅し取つた。

(4) 賞樹らから金員を脅し取つたことが担任の新保教諭に知られたと察知するや、これが賞樹らの密告によるものと勘繰つて憤激し、報復しようとして、同月一五日午前一一時ごろ、賞樹ほか三名を加茂農林のバレーボール部部室に呼び出し「おれ達の金集めを誰が先生にバラした。」などと追及したうえ、こもごも手拳で賞樹ら四名の頭部、顔面、腹部等を殴打したり、突いたりして暴行を加えた。

(5) そして、右暴行のあと、その「おとしまえ」として「六〇〇〇円ずつもつてこい」と言つて金員を要求し、同月一七日午前から翌一八日午前までの間に右賞樹ら四名からそれぞれ金六〇〇〇円を脅し取つた。

(6) グループの一人である麩沢が交通反則金を納付しなければならなくなつたことから、同月一七日、賞樹らに対し「もう四〇〇〇円ずつ明日もつてこい。」と言つて金員を要求したが、後記のような経緯でこれがクラス担任の新保教諭に知られるところとなり、目的を遂げなかつた。

(二) 捧らの度び重る金員の要求に困り果てた賞樹は右同日、学校から帰宅後、原告幸夫にこれまで捧らから受けた暴行、恐喝等の事実をすべて打ち明けた。そこで、原告幸夫は翌一八日の早朝、学校にクラス担任の新保教諭を尋ね、捧らのグループのメンバーの氏名を一人ずつ挙げて、賞樹らに加えられた非行の事実を明らかにし、学校として善処方を要望するとともに、学校当局では手に負えないのなら警察に告訴することも考えていることを伝えた。これに対して新保教諭は「学校内の出来事は責任をもつて学校で処理するので、警察にはしばらく内密にしておいてほしい。捧らには二度と暴行などを繰り返させないので、安心して賞樹君を登校させて下さい。」と言うので、原告幸夫はこれを信じて帰宅した。そして、その日、同教諭は普段と変りなく登校した賞樹から事情を聴き、警察には届け出ないよう指導し、そのあと、捧らのグループの一員である岩野敏男、内山和彦を呼び出して事情聴取をした。

ところが、これまでの賞樹らに対する非行の事実が学校当局に判明したことを知つた捧らは、そうなつたからにはいずれ退学処分を受けるものと予想し、こうなつたのは賞樹の通報によるものと目星を付け、報復しようとの考えから、同月一九日、校内で賞樹を取り囲んで詰問し「退学になつたら一生お前につきまとうからな。」などと言つて脅したうえ、他の同級生に対し賞樹とは口をきかないように命じ、そのため他の同級生はにわかに賞樹との会話を避けよそよそしい態度をとるようになつた。そのうえ、捧らは賞樹に盗みの罪を着せて学校から処分を受けさせようと考え、同級生の佐藤春雄に働きかけ、隙をみて現金二〇〇〇円が入つている同人の汽車定期券入れを賞樹のカバンにひそみ込ませたうえ、同人をして新保教諭に「お金の入つた定期入れがなくなつた。」と事実を曲げて申告させ、一方、自らは同級生全員の持物を検査するよう要求して騒ぎ出した。その日、賞樹は帰宅後はじめて自分をカバンに佐藤の定期乗車券入れがあるのを知つて愕然となつた。

翌二〇日、賞樹は午前の第一時限の授業終了後、教室で捧らに「どうして先生にバラした。」などと詰問されたうえ、昼休みには脅されて学校の裏山に連れて行かれ、リンチを受けた。そのため賞樹は午後の第一時限の「土肥」科目の試験には遅刻したうえ、顔面が蒼白で、答案には名前を書いたほかわずか一問を解答したのみであつたので、当該科目担当教諭は試験終了後賞樹の様子が異常であることをクラス担任の新保教諭に知らせたが、同教諭は賞樹に対し全く保護指導の措置をとらなかつた。一方、捧らは同日午後二時三〇分ごろにも教室で賞樹を取り囲み、「どうしてくれる。学校をやめただけではすまないぞ。」などと賞樹を執拗に脅し続けた。こうした中で賞樹は同日午後一一時ごろ、校内の生物部部室で自殺した。その日、原告らは午後八時ごろになっても賞樹が帰宅しないので、学校や新保教諭、同級生等に連絡して行方を捜してもらつた。その際、同級生の渡辺秀紀が新保教諭に対して、賞樹が生物部部室にいるのではないか、との情報を提供したのに、同教諭はそこを調べなかつた。

3  責任原因

(一) 学校教諭の生徒を保護、監督する義務

一般に学校の教諭は学校教育法の精神、あるいはその職務から当然に生ずるものとして「生徒を保護し、監督する義務」を負つている。この義務は高等学校におけるホームルーム指導においては次のようなものとして具体化する。すなわち、ホームルームは生徒の学校における自主的諸活動の基本組織であり、同世代の仲間が相互の交流を通じて青年としての自覚を深め、連帯感を培う場である。それゆえ、担任教諭によるホームルーム指導は生徒相互間に民主的な人間関係を確立して、それぞれの生徒が自立的で責任ある社会人となるに必要な資質を身に付けるための条件を備えてやることに重点が置かれるべきである。そのために担任教諭は生徒と協力して明るく親しみ易いクラス作りに努力するとともに、日常の生徒観察、個人面接および家庭との連携を通して個々の生徒との心の交流を図り、犯罪行為など、特定の生徒の自己顕示的問題行動によつてホームルームが荒廃化するのを防止することに努めるべきなのである。したがつて、ある生徒が級友に対し暴行などの犯罪行為に及んだ場合には、一方で加害者たる生徒を立ち直らせ、他方で被害者たる生徒が受けたショックを消し去り、生徒間の信頼関係を回復するように努め、いやしくも被害者たる生徒に対して再び同様の犯罪行為などが行なわれることのないよう適切な措置をとることが要求される。

(二) 新保教諭の過失

本件において、捧らによる暴行、恐喝等の問題行動は早くからその兆候が現われていたのに、クラス担任の新保教諭は捧らに対する個別指導を十分に尽さず、特定生徒による一連の自己顕示的問題行動によりホームルームが荒廃化するのを未然に防止することを怠り、捧らがホームルームをほしいままにするのを放置した。とくに同教諭は遅くとも昭和五〇年一一月一五日までには捧らが賞樹から金銭を脅し取るなどしている事実を覚知しながら、捧らに対する適切な指導および賞樹に対する安全措置を全くしなかつた。のみならず、同教諭は同月一八日原告幸夫から捧らの問題行動の実態を知らされ、これに対する学校当局としての善処方を求められて、捧らに対する個別指導に乗り出すに際し、そのために下手をするとかえつて賞樹が捧らから報復を受けることがあり得ることを十分予見できたのに、この点について十分な配慮を欠いたため、前記のとおり、賞樹は、捧らからその問題行動が学校当局に知れたのは賞樹の密告によるものだとして、かえつてさまざまないやがらせや暴行を受ける結果となつたのである。そのため賞樹は同月二〇日の時点では精神的に極度に追い詰められ、自殺もしかねない心理状態にあつたのであり、新保教諭は原告幸夫からもたらされた情報などから当時すでに捧らの賞樹に対する問題行動の実態をある程度把握していたばかりか、賞樹からの報告でこれが学校当局に露見したあと、賞樹が捧らからいやがらせや暴行等の報復を受けていることを知つており、賞樹が登校の不安を訴えていたこと、ならびにその日の賞樹の動静などから、同教諭は賞樹が自殺もしかねない追い詰められた心理状態にあることを十分予見し得た筈であるから、クラス担任である同教諭としては、直ちに賞樹を帰宅させ、速やかに捧ら関係者からの事情聴取を実施し、一連の非行の真相を解明してその責任の所在を突き止め、捧らに反省と自覚を促し、安じて登校できる状態が回復するまで一時登校を見合わさせるなどの措置をとるべきだつたのである。にもかかわらず、同教諭がこれを怠つたため、賞樹は自殺に追い込まれたのであり、賞樹の自殺は同教諭の右のような過失に起因する。

(三) 被告の責任

新保教諭は被告の公権力の行使に当る公務員であるところ、賞樹を自殺するに至らせたのは、その聴務を行なうにつき同教諭に前記のような過失があつたからであり、したがつて、被告は国家賠償法一条一項により賞樹の自殺によつて生じた損害を賠償すべきである。

かりに国・公立学校における教師の教育活動が公権力の行使とはいえないとしても、被告は新保教諭の使用者であるところ、賞樹が自殺するに至つたのはその職務を報行するにつき同教諭に前記のような過失があつたからであり、したがつて、被告は民法七一五条により賞樹の自殺によつて生じた損害を賠償すべきである。

4  損害

(一) 賞樹の逸失利益   金一三七九万九五〇円

(昭和56年度の平均賃金83,000円×12か月)+同特別給与金134,000円=年間収入金1,130,000円

年間収入金1,130,000×(1−生活費割合0.5)×ホフマン係数24.16=逸失利益金13,799,504円

(相続)

原告らは賞樹の両親であるところ、賞樹の死亡に伴い法定相続分に従い右逸失利益の請求権をその二分の一に当る金六八九万九七五二円ずつ相続により承継した。

(二) 原告らの慰藉料   各金五〇〇万円

賞樹は原告ら夫婦の長男であり、かつ、一人息子であるところ、西潟家の唯一人の跡継として期待していた賞樹を失つたことによる原告らの精神的苦痛は甚大であり、この慰藉料としてはそれぞれ金五〇〇万円とするのが相当である。

(三) 弁護士費用   各金一一八万九九七五円

原告らは本訴の提起および遂行を原告ら代理人に委任し、いずれも本件訴訟において勝訴判決を得られたときは、認容額の一割を報酬として支払うことを約した。本訴の遂行には事案の性質上弁護士を依頼せざるを得ず、したがつて、原告らが右委任に伴つて出損することとなつた金員は本件不法行為と相当困果関係のある損害というべきであり、右(一)、(二)の損害の合算額に一割を乗ずると、その金額は原告各自につき金一一八万九九七五円である。

よつて、原告らは被告に対しそれぞれ右(一)ないし(三)の損害の合算額金一三〇八万九七二七円およびこれに対する賞樹が自殺した日の翌日である昭和五〇年一一月二一日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因第1項(当事者等の関係)の事実は認める。

2  同第2項(賞樹が自殺するまでの経緯)中、

(一)の事実のうち、捧らがその腕力を誇示し、同人らを恐れ、媚びへつらうようにしてこれにつき従つていた者を加えて一つのグループを形成していたことは否認する。もつとも、当時、校内にはいくつかの気の合つた者同士の生徒のグループが存在していたことは事実である。その余の事実は認める。なお、捧らの一連の問題行動について新保教諭はじめ学校当局がその事実を知つたのは、新保教諭が昭和五〇年一一月一八日原告幸夫から事情を聴き、調査に乗り出して以降のことである。したがつて、(4)の事実において、それより以前の同月一五日の時点で、捧らが「おれ達の金集めを誰が先生にバラした。」などと賞樹らを追及する筈はない。

(二)の事実のうち、原告幸夫が昭和五〇年一一月一八日、学校に新保教諭を尋ね、賞樹が他の同級生から金銭を脅し取られていることを告げ、学校として善処方を要望したこと、同月一九日、捧らが賞樹に盗みの罪を着せて学校から処分を受けさせようと企て、同級生の佐藤春雄に働きかけ、隙をみて現金二〇〇〇円が入つている同人の汽車定期乗車券入れを賞樹のカバンにひそみ込ませたうえ、同人をして新保場諭に「お金の入つた定期入れがなくなつた。」との事実を曲げて申告させたこと、同月二〇日、「土肥」科目担任の教諭から新保教諭に対して原告ら主張の報告があつたこと、その日の午後一一時ごろ、賞樹が校内の生物部部室で自殺したことはいずれも認める。同月一九日、捧らが、非行の事実が学校当局に判明したのは賞樹の通報によるものと目星を付け、校内で賞樹を原告ら主張のようなことを言つて脅したことは不知、その日、捧らが他の同級生に対し賞樹とは口をきかないように命じ、そのため他の同級生がにわかに賞樹との会話を避け、よそよそしい態度をとるようになつたこと、同月二〇日の昼休みに賞樹が捧らによつて学校の裏山に連行され、リンチを受けたこと、その日の夜、賞樹の所在が不明になつたあと、同級生の渡辺秀紀が新保教諭に対し、賞樹が生物部部室にいるのではないか、との情報を提供したことはいずれも否認する。

一一月一八日、学校を訪れた原告幸夫が新保教諭に話したのは、賞樹の同級生の内山和彦が金集めをしているようだが、背後に何かのグループがあるらしいので調査してほしい、という程度のものであつた。そこで、新保教諭は早速生活指導担当の教諭とも連絡をとりながら同日午後二時ごろから午後九時ごろまでの間にまず賞樹をはじめ被害者とおぼしき生徒から事情を聴いたが、具体的な被害の事実を告げる者はいなかつた。ただ、この事情聴取を通じて内山が外山尚明の自動車の修理代の名目で同級生から金銭を徴収していることが判明したので、新保教諭はそのあと内山からも事情聴取をしたが、同人は黙否を続けていた。そこで、同教諭は翌一九日、内山と捧についてさらに調査を実施したが、同人らがいずれも具体的事実に触れたがらず、翌二〇日、父親の同席を求めて再度内山から事情聴取をしても、黙否を続けるばかりであつたので、学校としては警察に調査を依頼するほかなくなつたものである。

同月二〇日、「土肥」科目担当の教諭から報告を受けたあと、次の授業が自らの担当である「畜産」科目であつたので新保教諭は授業中賞樹の態度をこと細かく観察していたが格別いつもと変つたところも見受けられなかつたので、値別指導をするまでの必要はないものと考え、また、事実調査を実施中のことでもあり、同人を特別にひとりだけ呼び出すのもどうかと思われたので、個別指導は差し控えた。

3  同第3項(責任原因)中、賞樹が自殺したことについて新保教諭に原告ら主張の過失があることは争う。

原告らは、昭和五〇年一一月二〇日の時点で新保教諭は賞樹が自殺もしかねない心理状態にあることを予見し得たというのであるが、しかし、自殺は人の内心的意思に強くかかわつているものであり、外部からこれをうかがい知ることは極めて困難である。自殺にはさまざまな動機があるが、これらの動機は当該本人にとつてのみその動機となり得るものであつて、一般人に納得のできるものは少なく、一般的にいつて自殺と当該本人がおかれている環境条件との間には必然的な困果関係は存しない。したがつて、第三者が当該本人の自殺を予見するというようなことは、たびたび自殺を企て失敗を繰り返している精神疾患者の保護者やその治療に当つている病院関係者、自ら自殺する意思を表明している者と密接な生活関係を営んでいる者など、極く限られた者についてしか考えられないことなのである。本件の場合、賞樹は当時すでに一九才であつて、普通(全日制の場合)なら高等学校を卒業して社会人になつている年齢であり、自己の行動に十分に責任を持ち、自らの力で周囲の環境に適応し、これを打開し得るだけの精神的成熟度に達していたのである。そのような者が学校において同級生による暴行、恐喝等の非行の被害に遭い、なお同種の被害を受けるおそれがあるとすれば、その者は自らの英知と行動によつてこれを回避する方途を講ずるのが通常であつて、右被害の事実を第三者に明かすことができないほどの弱味を自らに持つているような場合ならまた格別そうでない以上、右暴行、恐喝等のために自らの生命を断つというようなことは通常考えられないところである。とくに、本件においては、昭和五〇年一一月二〇日の時点では、すでに捧らの非行の事実が学校当局に判明し、詳しい調査が進められていたのであり、言葉による多少のいやがらせはあるにしても賞樹に対してさらに捧らの暴行、恐喝が繰り返されるおそれはなかつたのである。そうしてみると、賞樹が捧らによる報復的な暴行、脅迫等が繰り返されるのを恐れたことがその自殺の決定的な動機とみるのは的外れの観があり、残された遺書の文面などからみると、賞樹は、自己の申告により捧らの非行の事実が学校当局に判明し、捧らが退学処分を受けること、そのため他の生徒から白い目でみられ、とくにそれまで同じ被害者として共通の意識を持つていた岩野敏男らまでもがよそよそしい態度をとるようになつたことを苦にして自殺したとみる方が当時の客観的事実に符合する。そうだとすれば、これを賞樹の全くの内心に属する問題であり、第三者である新保教諭が賞樹の自殺を予見することはなおさら困難なことであつて、本件に関し新保教諭に何らかの不手際があつたとしても、これと賞樹の自殺との間には因果関係は存しない。

本件は、学校の生徒が他の生徒による暴行、恐喝等の非行の被害に遭い、これについて学校当局が事実調査をしている過程で、当該生徒が深夜校内で自殺をしたというものであるが、この事件は学校が行なう教育活動、あるいはこれと密接不離の関係にある特定の生活関係上で生じたものではない。学校が生徒の生命、身体の安全について責任を負うのは、生徒が教師の指示に従いその範囲で行動している限度においてであつて、教育以外の私生活上のことで生徒の生命、身体が損われたとしてもこのことについて学校が責任を負うといわれはない。そして、学校の右のような責任は、小学校、中学校、高等学校のそれぞれの教育過程によつて一様ではなく、生徒の人格形成が進み思慮分別ができるに従つてその程度も質も異なつてくるものである。本件の場合、賞樹はすでに定時制の四年生であつて、学校の生徒であると同時に、他面では社会人としての経験も積んでおり、年齢も一九才に達していたのであるから、自らの英知で自らを守る術を知つていた筈であり、学校がその生活行動のいちいちについて責任を持つ立場にはなかつたのである。しかも、前記のとおり、捧らの非行は修学旅行中や学校における授業の休憩時間中に行なわれたものとはいえ、全く教育活動を離れた私生活上の出来事であることからすれば、学校が賞樹の自殺について責任を負う筋合ではない。

なお、原告らは、新保教諭において捧らの非行について事実調査に乗り出すに際し、そのために賞樹がかえつて捧らから報復を受けることもあり得ることについて十分な配慮をしなかつたように主張するが、同教諭は、内山や捧から事情聴取をした際には、このことに関して被害者である生徒に報復するようなことのないように厳重に注意しており、また佐藤から定期乗車券入れがなくなつたとの申告があつた際も、自分で帰りの汽車賃を出してやり、事を荒立てないよう戒めている。そして、一方、賞樹との接触には十分に気を使い、時には直接の面接を避けて電話を利用するなど、賞樹が他の生徒の無用な勘繰りの対象となることのないよう配慮していた。

4  同第4項(損害)は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因第1項の事実はいずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、賞樹が自殺するまでの経緯は次のとおりであることが認められる。すなわち、

1  加茂農林定時制農業科は生徒が昼間登校して授業を受ける点では全日制と同じであるが、生徒は春、秋の農繁期には登校せず、それぞれ家業である農業に従事する建前がとられており、そのため卒業年限は全日制よりも一年長く四年となつている。そして、同農業科は一学年ひと組のクラス編成をとつている関係上各学年とも入学したときから卒業するまでそのクラスメートには変動がない。

2  昭和五〇年当時、賞樹が属していた第四学年には捧一、外山尚明、麩沢利明、岡田英雄、内山知彦らがいたが、これらの者は腕力が強く、捧を中心にひとつのグループを形成してその勢力を誇示し、他のクラスメートから恐れられる存在となつていた。一方、賞樹をはじめ岩野敏男、渡辺秀紀、渡辺久名夫、渋谷浩一らはひ弱で温和な性格の持主であつたことから、日ごろ捧らの勢力誇示の恰好な対象とされていたところ、このような事情を背景として、捧らは賞樹らに対し次のような暴行恐喝等の非行を繰り返した。

(1)  昭和五〇年六月二七日午後一〇時ごろ、修学旅行で北海道へ行つた際、旅先の宿舎で、賞樹らがたばこを吸つているのを知るや、これを種に制裁を加えようと考え、賞樹らの宿泊部屋に押しかけ、賞樹らを取り囲んで「かくれてたばこを吸うとは生意気だ。ヤキを入れてやる。」などと怒号しながらこもごも手拳で居合せた賞樹ら六名の顔面、頭部、腹部、背部等を殴打するなどの暴行を加えた。

(2)  同年一一月八日ごろ、加茂農林定時制農業科四年の教室等校内において、実際にはそのような事実がないのに、賞樹らに対し個別に「外山の車がタクシーとぶつつかり、壊れたので、その修理代を二〇〇〇円ずつカンパしてくれ。」と言つて金員を要求し、同月一〇日ごろ、右教室等において、賞樹ほか三名からそれぞれ金三〇〇〇円ずつ脅し取つた。

(3)  そして、これに味をしめ、同月一二日ごろ、前記教室等で賞樹らに対し「外山の車の修理代がまだ足りない。もう三〇〇〇円ずつ出してくれ。」と言つて重ねて金員を要求し、同月一三日、同教室等において、賞樹ほか三名からそれぞれ金三〇〇〇円を脅し取つた。

(4)  同月一四日、出張先から戻つたクラス担任の新保教諭が事情を知らないまま捧らのグループの一人でクラス委員でもある内山和彦に「留守中、変つたことはなかつたか。」と尋ねたのを同教諭が捧らの前記非行の事実を察知して探りを入れてきたものとひとり合点し、これが賞樹らの密告によるものと勘繰つて憤激し、報復しようとして、翌一五日午前一〇時ごろ、自習時間を利用して校内のバレー部部室に賞樹のほか岩野敏男、渡辺秀紀、渡辺久名夫の計四名を呼び付け、「お前らから金集めをしていることを先生に話したろう。」などと言つて詰問したうえ、賞樹らがこれを否定するや、同人らの顔面、背部、腹部等をこもごも手拳で殴打する等の暴行を加えた。

(5)  そして、そのあと、賞樹らに対し一人当り金六〇〇〇円ずつの金員を要求し、同月一七日の午前、校内において、賞樹のほか岩野敏男、渡辺秀紀からそれぞれ金六〇〇〇円ずつを脅し取つた。

(6)  そして、さらに、その日、右三名に対しそれぞれ翌一八日中に金四〇〇〇円ずつを学校に持参して提供するよう要求した。

3  賞樹は性格的に素直で、家業をよく手伝つたが、学校での出来事などを両親に話して聴かせるようなことはなかつたので、原告らは捧らの非行の事実を全く知らなかつた。ただ、賞樹は当時はまだ結婚前で自宅にいた姉の静枝とは何事も打ち解けて話し合える関係にあり、同女は賞樹から打ち明けられて捧らの非行の事実につきおおよそのことは知つていたところ、昭和五〇年一一月一七日の夜、捧らのグループの一人である内山和彦から電話で賞樹に前記(6)のとおり翌一八日中に金四〇〇〇円を学校に持参して提供するようにとの要求があり、相手方との電話口での遣取りから賞樹が捧らから金銭をせびられてにることを知つた同女は賞樹に対して全てを原告幸夫に打ち開け、協力を求めるよう説得した。こうして、事の次第を知つた原告幸夫は、事態をそのままに放置しておくことはできないとの判断から、翌一八日の授業開始前、加茂農林に賞樹のクラス担任である新保教諭を尋ね、賞樹から聴いて知つた捧らの非行の事実を説明して、学校としての善処方を要請した。新保教諭は原告幸夫から聴いてはじめて捧らの非行の事実を知り、早速、その日のうちに賞樹と同じ被害に遭つていると思われる岩野敏男、渡辺秀紀および捧らのグループの一人と見られる内山和彦の三名を個別に呼んで深夜まで事情聴取を行なつたが、誰も具体的に事情を説明する者はいなかつた。そこで、新保教諭は翌一九日には内山と捧一を呼んでさらに事情を聞き質したが、両名とも具体的事実に触れたがらず、同月二〇日には父親に同席を求め内山について再度事情聴取をしたが、同人は黙否を続けるばかりであつた。このような次第のため学校側では学校当局の手で捧らの非行の実体を解明することは困難との結論に達し、止むなく警察に調査を依頼した。

4  ところで、一方、捧らは前記のとおり同月一八日に内山が新保教諭に呼び出されて事情聴取をされたことからその非行事実が学校当局に判明したことを知り、そうするうち同級生の一人からこれが賞樹の父親の通報によるものだとの情報がもたらされた。そのため捧らはその非行の事実が判明した以上、いずれ学校当局から退学処分を受けるものと予想し、こうなつたのも賞樹の仕業によるものと考え、同月一九日、学校内で、賞樹を取り囲んで詰問したうえ、「もし、退学になつたら、一生お前に付きまとつてやる。」などといつて脅迫した。そのうえ、捧らは賞樹に盗みの罪を着せて報復しようとの考えから、同級生の佐藤春雄に働きかけ、教室内で隙をみて現金二〇〇〇円が入つている同人の汽車定期乗車券入れを賞樹のカバンにひそみ込ませたうえ、同人をして新保教諭に「お金の入つた定期入れがなくなつた。」として虚偽の申告をさせた。その間、捧らのグループ以外の同級生らは捧らからあらぬ疑いをかけられ、仕返しされては適わないとの気持たから賞樹に対してことさらによそよそしい態度をとり、そのため賞樹は日ごろ親しくしていた友人からも疎外され、校内では孤立無援の状態におかれた。

その日、賞樹は帰宅してはじめて自分のカバンに佐藤の定期入れが入つているのを知つて驚き、姉の静枝に「学校を辞めたい。」ともらすなど、気落ちし、ふさぎ込んでいる様子であつたが、「もう少して卒業できるのだから学校だけは続けた方がよい。」と姉に説得され、またカバンに入れられていた定期入れを返還する必要もあつたので、賞樹は翌二〇日も普段のとおり登校し、村田教頭に会つて事情を説明したうえ、佐藤への返還を託して右定期入れを同教頭に手渡した。ところが、その日学校当局が当面の暫定措置として捧らのグループの一人である内山和彦を謹慎処分に付したことから、捧らは賞樹に対する復しゆう心を駆り立てられ、暴力を振うようなことはなかつたものの、授業の合間の休憩時間ごとに賞樹を取り囲んでは「なぜ先生にバラした。」などと言つて責め立てた。そのため賞樹は午後の第一時限目の「土肥」科目の試験に遅刻したうえ、その顔面は蒼白で、問題についても一問のみ解答しただけだつた。「土肥」科目担任の教諭からこのことについて報告を受けた新保教諭は、次が自分の担当の「畜産」科目の時間であつたので、教室内でそれとなく賞樹の様子を見ていたが、賞樹は普段のように講義を聴きながらノートをとつており、同教諭の見た眼には格段変つた様子も見受けられなかつた。加茂農林ではこの日の放課後近く開催される技術競技大会のための練習が行なわれたが、賞樹はこれに参加せず、午後五時ごろ、賞樹から勤務先の姉静枝あてに、気分が悪いのでその日は迎えに行つてやれない、との電話があつたほかには放課後の賞樹の行動は明らかでなく、午後七時を過ぎても帰宅しないため、家人が学校、新保教諭、同級生などに連絡をとつてその行方を探しているうち、深夜に至り、加茂農林の生物部部室で首つり自殺をしている賞樹が発見された。

以上のとおり認められ、これを左右するに足りる証拠はない。そして、〈証拠〉によれば、一一月二〇日の朝、登校前の賞樹は、姉の静枝に前夜はよく眠れなかつたと訴え、元気はなかつたが、家人には賞樹が自殺するような気配は全く感じられなかつたことが認められる。

以上の経緯に鑑みると、賞樹は一一月二〇日に登校したあと午後五時ごろまでの間ににわかに自殺を決意するに至つたものと推認できるものであり、〈証拠〉によれば、右甲第一号証の五四は、賞樹が自殺の現場にのこした遺書であるところ、この中で賞樹は、自分のとつた行動(すなわち、父親を通じて捧らの非行の事実を学校当局に通報したこと)が正しかつたことは捧らのグループ以外の同級生には必ず分つて貰えると思うということと、自分は佐藤の定期券入れを盗んだりはしていないことを強く訴えていることが認められ、これによれば、自分のとつた行動の正しさが同級生に素直に分つて貰えないことのもどかしさないしは無念さと捧らによつて窃盗の罪まで着せられそうになつたことの衝撃とから絶望感に陥つたことが賞樹をして自殺を決意させる大きな原因となつたと見てとることができる。

判旨二ところで、〈証拠〉によれば、新保教諭は、原告幸夫から捧らの非行の事実について説明を受けた一一月一八日のその夜、賞樹に対し電話で、捧らの非行問題は学校当局が責任をもつて解決に当るから安心して登校するようにと言つて励ましたほかは、賞樹がいたずらに捧らの反感を買い、憎悪されるようなことになつてはいけないとの配慮から賞樹との接触をことさらに避け、その様子を見守るに止めていたこと、そして、一方、内山や捧について事情聴取をした際、同教諭は、このことを恨んで捧らが賞樹に報復することを慮り、内山や捧に対しそのようなことは絶体にしてはならないと強く戒めていたこと、また、賞樹の方からは積極的に同教諭との接触を求め、捧らによる報復の実情を報告し、あるいはその心情を吐露して助力を求めるというようなこともなかつたので、同教諭は賞樹が自殺するなどということは夢想だにしなかつたことが認められる。しかし、賞樹の自殺が現実のものとなつた後に至つて省るとき、新保教諭がとつた右のような措置が前認定の経緯に照らしクラス担任教諭として万全を尽したものといえるかどうか、とくに、同教諭が捧らの非行の事実が学校当局に判明した後の賞樹と捧ら双方の動静をもつと細かく観察していてくれたなら、賞樹の自殺を予見することができ、事前にこれを防止するため何らかの手立を講ずることもできたのではないかと考え、無念に思うことも賞樹の両親である原告らの立場からは無理もないことである。とはいえ、自殺は人の内心に深くかかわるものであつて、他人がこれを予見するということは、当該本人が遺書をのこして所在不明になるとか、異常な精神状態にある者が絶えず死を口走り自殺を試みようとするなど、自殺を裏付けるような当該本人の言動が他人に認識し得る形で現出しない限り、極めて困難なことといわなければならない。本件においても、前認定の経緯からは、その自殺を裏付けるような賞樹の言動が他人に認識できるような形で現われているとはいえず、前認定の一連の事実から直ちに新保教諭が一一月二〇日の時点で賞樹の自殺を予見し、これを防止する措置がとれたと認めることは困難であり、ほかに賞樹の自殺を防止できなかつたことについて新保教諭に過失があると断定し得る証拠はない。

三よつて、原告らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから失当としていずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(柿沼久 大塚一郎 竹内純一)

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